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そらち★ヤマの記憶だより

あなたの知らない空知の情報をお届けします!

⑥炭鉄港の【炭鉱】炭鉱の記憶マネジメントセンター石蔵

2019/02/21 [Thu]18:59
category: 炭鉄港−北の近代三都物語
炭鉄港の【炭鉱】
そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター石蔵を紹介します

マネジメントセンターに併設している札幌軟石の石蔵は、明治42年建築!

かつて、おコメの倉庫用にと建てられたのですが、
実際には、たばこの専売公社の倉庫として使われ…
その後は、日用雑貨のお店の倉庫として使われ…

石蔵内部 (1004x740)

2009年8月からは、当NPOが写真展や講演会、ライブ会場などとしても活用している石蔵です。

蔵の構造は木骨石造平屋建 切妻屋根 トラス構造  規模は57.93㎡。

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2009年に借りた時は、ベニヤ板で覆われ、せっかくの壁の軟石が隠れていました。
これを当時のスタッフで剥がして(そして具合い悪くなり…)、軟石が見えるようにしたのです。

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駅側の壁面の屋根には、雲形をあしらった和風の意匠を感じる棟飾りが置かれています。
おそらく、火除けのために…中央部には「水」と彫られていますよ

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かつて石炭列車がたくさん走っていた影響か、軟石が黒っぽくなっています。
たぶん黒煙のせいでススがついて黒っぽいのであろう‥との事。


札幌軟石は、札幌市南区石山で産出する凝灰岩の石材です。
4万年前の支笏湖を形成した火山活動で発生した火砕流の噴出物が札幌市南区にまで達したそうで、
この火砕流の噴出物が固結したものが「札幌軟石」。

明治4年に札幌南区石山で発見され、キメが細かく適当な硬度を有していること、柔らかいため切り出しが容易であること、
軽く保温性が良いこと、などから、明治時代から昭和初期にかけて、主要建造物の資材として広く使われるようになったそうです。

昨年、北海道遺産にも追加登録されています


「空知の炭鉱」の情報発信拠点でもあるこの石蔵も、炭鉄港日本遺産の構成施設に入っています!!

マネジメントセンターへお越しの際にはお気軽に、「石蔵を見たいです!」とお声がけください

⑤炭鉄港の【炭鉱】北炭幾春別炭鉱 錦立坑櫓

2019/02/17 [Sun]19:36
category: 炭鉄港−北の近代三都物語
今回は、「北炭幾春別炭鉱 錦立坑櫓」について紹介します

三笠市にあった幾春別炭鉱は、明治18年に政府が開発に着手した、歴史のある炭鉱です!!
明治22年に幌内炭鉱と幌内鉄道の払下げを受けた北海道炭礦鉄道会社が、ここ幾春別炭鉱の本格的な採炭を始めました。

北海道に現存する最古の立坑櫓が、大正8年に建てられたこの「錦立坑櫓」です。

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※2010年、春の様子

高さは約10メートル、深さ約214メートル。
このころは周辺の整備はほとんどしていなかったので、草をかき分けてやっとたどり着く…といった感じです

よ~く見ると、柱の鋼材には「八幡製鉄所」の刻印があるものも!!
北炭の社章は現在、新しいものに変えられています。

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立坑の横にはレンガ造りの巻揚室があります!
自然が緑を取り戻していく…!!

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以前は内部に入ることもできました。

巻揚室からさらに奥へ行くと、同じようなレンガ造りの変電所もあります。


遊歩道から立坑櫓に向わず、川の方へ降りると、錦立坑と繋がっていた錦坑口も見る事ができます。

錦坑口 (800x589)

立坑から積み替えた石炭を出した水平坑口で、ここから博物館周辺にあった選炭場へ運ばれていきました。
レンガが5層になってアーチ状に組まれてる、重厚な坑口です


炭層は急傾斜で薄く、採炭は難しかったようです。
昭和28年に採掘を中止し、昭和32年に桂沢ダムの建設、自然発火などの事情から閉山となりました。
閉山が早かったので、ここで働いていたという炭鉱マンからのお話を聞く事は、ほとんどありません…

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立坑、巻揚室、変電所、坑口、が、同じ場所で、ほぼ同じ時期に建てられたものが見れるというのは、珍しい
ぜひこちらも訪れていただきたい場所です

現在は、「三笠ジオパーク」のジオサイトの一つとなっていて、歩きやすく&わかりやすく整備されています。
→ こちら

④炭鉄港の【鉄道】旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場(岩見沢レールセンター)

2019/02/10 [Sun]17:11
category: 炭鉄港−北の近代三都物語
今回紹介するのは、
旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場(岩見沢レールセンター) 

北海道で初めての鉄道は、三笠の幌内炭鉱で採掘された石炭を運ぶ目的で敷設された官営幌内鉄道です。
石炭を運ぶために様々な手段を検討し、アメリカ人の土木技師クロフォードの案により、鉄道を小樽の手宮まで敷設する事となったのです!

明治13年に手宮-札幌間が開通、明治15年に幌内までの全線が開通しました。
旅客の取り扱いのない石炭列車は1日1往復、
普通列車は手宮―札幌間2往復、札幌―幌内間は1往復だったそうですよ

明治22年、海道礦鉄道が払下げを受け…
かつては手宮にしかなかった鉄道工場でしたが、
明治31年に岩見沢製作所を設置し、明治32年、製作所を岩見沢工場と改称し、車両やレールの製造、修理を行うことなりました!
※北海道鉄道百年史より

これが、現在のJRレールセンターの始まりです!!

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※上棟式の様子

北海道炭礦鉄道(北炭)は沿線の炭鉱からの石炭を運ぶために、
明治24年に岩見沢―歌志内間、
明治25年には、砂川―空知太間、岩見沢―室蘭間の鉄道も開通させました。

北炭の本社は、明治37年4月から明治39年の鉄道国有化になるまで、短期間ですが岩見沢(岩見沢村南六番地)にあったのです!!
岩見沢は鉄道の拠点と位置づけられていたのがわかりますね

JRレールセンター

現在はこの建物だけしか残っていませんが、同じような赤レンガ造りの、
機関車や貨車の鋳造部品をつくる「鋳造工場」、
貨車の側板や枕木などをつくる「木工場」、
貨車の荷物を覆うシートを整備する「シート場」などが周辺にあったそうです。


旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場(岩見沢レールセンター)は、空知を代表する貴重な鉄道遺産です

③炭鉄港の【鉄道】旧手宮鉄道施設(機関車庫三号)

2019/02/01 [Fri]15:38
category: 炭鉄港−北の近代三都物語
炭鉄港の構成文化財として申請している45の施設を1か所ずつ紹介しています!

今回は、
小樽市にある「旧手宮鉄道施設(機関車庫三号)」
場所は、手宮の「小樽市総合博物館」です!

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入口の銅像は、北海道開拓使によって招かれたお雇い外国人クロフォード
クロフォードは三笠の幌内炭鉱で採掘された石炭を、ここ小樽の手宮まで鉄道を敷いて輸送し、小樽の港から運ぶべきとした、アメリカ人の鉄道技師です。
北海道で初めての鉄道が、手宮-幌内間全線開通(明治15年)した、この幌内鉄道です。
※まず先に手宮-札幌間は明治13年に開通してます。

旧手宮駅構内とその周辺に鉄道関連施設がいくつも残っています!!

まずはこちら↓↓
機関車庫三号
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明治18年竣工の、現存する日本最古の機関車庫
国の重要文化財に登録されているものです

創建時は「煉化石造機関車室」。
室内は、間仕切り壁で東側に1室、西側を車両2台分の空間に区分しています。
西側の室内は、中央に石造り八角形の柱を建て、小屋梁を設けています。
東側の1室は機関車を吊り上げて修繕することができる構造とするために、壁厚を増し、小屋組を補強しています。
レンガの積み方は…「フランス積み」


続いてこちら↓↓
写真左側が機関車庫一号、手前にあるのが転車台です。
機関車庫一号は明治41年に竣工。こちらのレンガは「イギリス」積み

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転車台(ターンテーブル)は、昭和49年3月までは手宮駅構内の貨車入れ替え作業に蒸気機関車が使用されていたため 、その頃まで現役でその役割を果たしてました。

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こんな風に機関車を載せて、方向を変えるために使われます。
岩見沢駅構内にも転車台が残っていて、駅の自由通路から見る事ができます!
※冬は雪が積もっているので見られないかも


他にも、このような建物も…
危険品庫↓↓

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明治31年頃に建造された軟石の倉庫。
塗料や油脂類など、引火性の強い物品の保管に使われていたもののようです。
小さいけれど、がっちりとした石蔵


ちょっと裏手へ行くと…↓↓
貯水槽

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蒸気機関車には水を使います。その給水する水を貯えた施設。
内部の梁には、19世紀末製造と思われるイギリス製のレールが使用されているそうです


旧手宮鉄道施設は、日本近代史上における北海道の役割や、北海道の産業形態などを考える上で、貴重なものであるとともに、石炭とともにあった北海道の鉄道を象徴しています。

蒸気機関車が主流であった時代の鉄道システムが残る場所として、わが国における鉄道技術の発展を示す貴重な近代化遺産です
※解説は小樽市HPより


②炭鉄港の【炭鉱】夕張の石炭大露頭

2019/01/26 [Sat]20:44
category: 炭鉄港−北の近代三都物語
日本遺産を目指す、炭鉄港の構成文化財として申請している45の施設を、1ヶ所づつ紹介しています

今回は、
夕張市にある「石炭大露頭・夕張二十四尺層」

下位から、十尺層(約3メートル)、八尺層(約2.4メートル)、六尺層(約1.8メートル)の、計二十四尺(約7.2メートル)の石炭層からなる、日本一厚い露出石炭層!!

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石炭博物館の近くにありますので、見た事がある方は多いかもしれませんね
昭和49年には、北海道の天然記念物に指定されています!


明治9年、ライマンの調査によってすでに石炭の存在が認められていた区域ですが、途中、河川などにはばまれるなど自然条件の厳しさから、奥部に立入る事ができませんでした。

ところが明治21年、ライマンの弟子である北海道庁技師、坂市太郎が当時稼行中の官営幌内炭鉱から炭層の走行を追うことにより、炭層が露出しているのを発見しました!!

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※ふるさとの思い出写真集夕張より

この場所は夕張炭田の主要部分を占める、北炭夕張第二鑛の鉱区。
炭層は、カロリーの高い原料炭で、国内最優良炭と言われていました

石炭産業における北炭の比重は大きく、北炭の主力炭鉱として全国的に著名であり、かつては貴族議員、昭和29年には天皇皇后両陛下、昭和33年には皇太子殿下がご視察されました

この大露頭の前で写真を撮るのが常だったそうです


国内では他に例のない大規模なもので、天然標本として教育・自然科学的に大変貴重なものであり…

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日本の炭都として発展を遂げた夕張市。
石炭大露頭は、夕張の歴史の起点であります