そらち★ヤマの記憶だより

あなたの知らない空知の情報をお届けします!

2017年もありがとうございました。

2017/12/24 [Sun]16:32
category: マネジメントセンターについて
今日は、マネジメントセンターは年内最終営業日です
例年だと28日頃なのですが、月火曜の定休日との関係で、
ちょっと早めの仕事納めとなりました

午前中は、個々の仕事を片付け…

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撮影にこらえきれず笑う私…

午後からは事務所の大掃除

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1年間センターを見守ってくれた建物に感謝を込めてススを落とし、
新しい年へと備えますよ

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りじちょーは、たくさん増えた蔵書の整理を

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お昼ごはんは、お向かえの八洲さんのお蕎麦でした。
年末のご挨拶にいらした、お世話になっている方々と一緒に♪

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(年越しというより、厳密に言うと今日はクリスマスイブですが~

みなさん、今年もお世話になり、どうもありがとうございました。
2018年も、NPO炭鉱の記憶推進事業団と、
そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターをどうぞよろしくお願いいたします
年明けは、1月5日(金)より通常営業いたします。

また、少し先の予告ですが…
年度内にはセンター石蔵で、ある催事を予定しています!
今までにないメンバーが参加する企画ですよ
ただいま準備中ですので、どうぞお楽しみに♪

みなさんも、よいお年をお迎えください

(ぼーいっしゅ)
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秋田の「小坂鉄道」をご存じでしょうか??

2017/12/23 [Sat]16:09
category: その他
江戸時代…秋田の小坂町で発見され開発が始まった「小坂鉱山」

明治17年に払下げを受けた藤田組(後の同和鉱業)が小坂鉱山の経営を本格的に開始し、近代化の波とともに発展していきました。

小坂鉱山は鉱産額日本一となった事もあり、国内における主要鉱山の地位を確立し、
足尾、別子と並び、日本三大銅山とうたわれました

鉱山の発展とともに増大した貨物輸送用として小坂~大館間(22.3キロ)が明治41年に開通したのが【小坂鉄道】
翌年には旅客営業が開始され、東北では北海道連絡の青森駅に次ぐ貨物運搬量だったと言われています。

やがて…
景気の厳しさ、従業員の合理化による減少、
平成元年に小坂製錬株式会社が発足し、資源を残しつつ鉱山の歴史に終止符を打った小坂は、方向を変えました。

平成6年には町内にあった鉱山の全てが閉山し、
町民の足としても活躍していた小坂鉄道も、この年に旅客営業を閉じ…
製錬の貨物運搬は続けられましたが、平成21年に営業廃止となりました…

廃線となった小坂鉄道ですが、鉄道遺産として保存・活用する事になり、線路や設備を修復し、
「小坂鉄道レールパーク」としてよみがえりました

この小坂鉄道の遺産価値表出事業として行われたのが…

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現地フィールドワーク(バスツアー)、
吉岡りじちょーによる、基調講演「どんなストーリーが小坂鉄道で描けるのか?」
パネルディスカッション
茂内駅清掃ワークショップでした。


鉄道ファンにとって、「小坂鉄道ほど魅力的な素材はない」そうなのですが…、
どのようなものがあるの?
何が玄人向けの鉄道遺産なの??
…という鉄道にはまだまだ素人目線の私OLが見た小坂鉄道を、当日の現地フィールドワークの様子から紹介させていただきます


雪の降る中、フィールドワークは始まりました!
線路跡を横目に見ながら…

こちらにある、クルクルしたワイヤーはいったい…??

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「タブレットキャッチャー!!」
タブレットと言えば…
単線区間の運行の管理に必要なもので…、
初めて現物を見た時は、肩掛けのバッグかと思いましたが…
そのタブレットをワイヤーにかけておくものです。
列車を走らせながらここにかけるって、ちょっと想像つかない…!!(YouTubeなどで映像がありました)


こちらの場所には…

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踏切警手小屋があり、この日は小屋の内部も特別に見せて頂きました!

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よく見ると道路には線路が残っていて、大きな手動昇降式遮断機もそのままです。
普通なら撤去されてしまいそう…💦


大館樹海ドーム前に残る、岱野駅

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改軌前のホーム(駅舎は反対側にあったそう)。

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駅の内部には、タブレット閉塞器があったり、昭和63年の時刻表(コピー)も貼ってありました!!


こちらは東岱野駅付近。
鉄道ファンなら知っている??鉄道信号などを製作しているあの「大館製作所」
大館製作所のために作られた駅で、敷地内に立入らせていただきました。

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会社の始業は列車時間に未だにリンクしているそう。


次に向かったのは…

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レールバイクの出発点。
この辺り、とっても景観がいいのです!
小坂鉄道の線路を自分のチカラで進めるレールバイクに乗車してみたい!!
※冬期はやってません


四十八滝温泉から徒歩で小雪沢駅へ向かう一行…

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小雪沢駅は、昭和37年まで、電化区間と非電化区間の結節点として中継基地であったそうです。

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ここは昭和28年にボストンマラソンで優勝した山田敬蔵さんをモデルにした映画「心臓破りの丘」のロケ地としても使われたそうです。

軽便鉄道規格路線時代には、この駅で電気機関車と蒸気機関車の付け替えを行っていたそうです。

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雪の中を堀りだしてみると、違うサイズのレールを溶接したものがある!!
レールバイクのコース途中に草生したかつての低いホームもることができます


新沢駅。

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保線倉庫が残ってますが、中に入るのはちょっと危険

少しバスを走らせると…
小坂の町の入ってきました!!

降車していませんが、バスの中からかつての小坂鉱山事務所を見れました

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小坂鉱山の全盛時代の生きた文化遺産、明治38年に建設された小坂鉱山事務所。
平成9年まで現役事務所として利用されていました。
玄関ホールのらせん階段をはじめ建築的にも大変高く評価されているそうで、次回は内部見学をぜひしたいです!!


昼食は、鉱山の鉱夫が好んで食べていた?!「かつラーメン」

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奈良岡屋さんで頂きました

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さすがに、ボリュームたっぷり…

さっぱり系の醤油ラーメンに、卵でとじたぶ厚いカツがドーンとのっています!!
とても美味しいのですが、食べても食べてもなかなか減りません…
お腹いっぱいになりました。
ごちそうさまでした
これで午後の部もいけそうです

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今日は冬至…

2017/12/22 [Fri]17:17
category: スタッフのつぶやき
17時前というのに、もう真っ暗…
日中は気温も上がって、道路の雪が溶けてます💦

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もう根雪かと思いましたが、違ったようで…


今日12月22日は一年のうちで昼が一番短かく、夜が一番長い冬至ですね。

かぼちゃを食べたり…

お風呂にゆずを浮かべたり…

そんな風習も意味があるからこそ。
なんとなく途切れていかないように、この先の世代にも伝わっていくといいですね

若いお母さんも、今日はかぼちゃの煮物をぜひ~!!


さて、
マネジメントセンターの営業は、
明日23(土)と、24(日2日間のみ

ご用のある方はどうぞこの2日間のうちのご連絡くださいませ。

よろしくお願い申し上げます

炭鉱関連のDVDいろいろ…

2017/12/21 [Thu]22:08
category: マネジメントセンターについて
最近、ポツポツと書籍が増えてきましたので、
年内には!!と、書籍コーナーとDVDコーナーを整理中です…

やはり写真集や資料などが多いのですが、DVDも炭鉱や鉄道に関連するものが結構あるのです。
ぜひ、マネジメントセンターにお越し頂き、ご覧くださいませ
※尚、DVDの貸出はしておりませんので、センターでご覧ください

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炭鉱の様子がわかる映像や、立坑が完成していく記録映像…など、貴重なものもありますし、
お時間がゆっくりある方には、
「幸福の黄色いハンカチ」「家族」などの映画もありますよ

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何度見ても見飽きない映画、ってありますよね。
私OL、「幸福の黄色いハンカチ」は、なぜか何度見ても飽きません!!
(知っている場所が多くでてくる、というのもありますが…

始めはストーリーや役者さんがいいなぁ~と思い…、
そのうち、後ろに写っているまちの風景や看板や住宅などに発見!があったりします。
「行こうや、ゆうばり」というセリフもシーンも、記憶に残ります…。

他にも、海外の炭鉱が舞台の映画や、最近の端島(軍艦島)の様子などもあります。

見たい方はどうぞお気軽にスタッフへお申し出ください!!


(OLでした)

【寄贈品紹介】「三菱大夕張」腕章

2017/12/20 [Wed]15:52
category: 炭鉱の記憶
こんにちは!赤平から岩見沢に通っているスタッフ、カニです

そうそう、赤平と言えばこんなニュースもありますね!

≫JOIN WEBページへ
【北海道赤平市】炭鉱遺産を活用する新しい施設のオープニングスタッフ!2名募集

≫ジョブキタ 募集サイトへ

赤平に炭鉱仲間(!?)が増えるんですね~~.゚+.(・∀・)゚+.
ヤマを愛する素敵な方が来ますように……!!

(ヤマを愛する方って希少ですかね?)






さて、そんなセンターにまた新たに寄贈していただいた炭鉱関連の物がありますので、ご紹介させていただきます!
それがこちら。

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「三菱大夕張」と書かれた腕章です!





三菱大夕張と言えば……





……

…言えば……?





夕張にあった大きい炭鉱ですが…それしか無知なカニは分からない…!!!
しかもこの腕章、「書記」って書いてますが書記ってなんでしょうね!?く、組合…?

ひとまずこの浅い知識のままではセンタースタッフとして危ういです。そもそも夕張ってカニにとってはイマイチ遠い町で、年に1回行くか行かないかという状態で地理関係も全く分かりません。
これを機会に「三菱大夕張」炭鉱について勉強したいと思います((´・ω・`;))





まず夕張市ですが、市のHPによると

『明治7年(1874年)、アメリカ人鉱山地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンの探検隊が夕張川上流の炭鉱地質を調査、その後明治21年(1888年)、道庁の技師坂市太郎が志幌加別川の上流で石炭の大露頭を発見したことから「炭鉱の街夕張」の歴史が始まりました。』

『明治24年(1891年)の炭鉱開始以来、炭鉱の街として栄え、昭和18年(1943年)には市制が施行されました。一時は大小24の鉱山、人口12万人を数えましたが、昭和40年(1965年)代に入って次々に閉山。「炭鉱の街夕張」としての歴史に幕を閉じました。』

『炭鉱に替わって夕張の顔となったのが「観光」です。』『いち早く新たな街づくりに着手、北海道に数ある元・炭鉱の街の中で、最も活性化された街として注目されています。』

とあります。



そんな中にある「三菱大夕張」。まずは困った時の「北海道炭鉱資料総覧」です!

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……夕張、炭鉱いっぱいありますねぇ…。

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中には「クルキ」とか「蜂の巣」とか気になる名前の炭鉱がありますが、ぐっと我慢して三菱大夕張のページを…

…おや?

  • 「大夕張」
  • 「大夕張新坑」
  • 「南大夕張」

と3つも似たような名前が!そのページを開くとただ一行

『三菱社ー大夕張、大夕張新坑、南大夕張』

との記述。
三菱の炭鉱だったことは間違いなさそうですが…それ以外が良くわかりません。また同書籍の「大夕張炭鉱」のページもあったのでそこを見ると

『この炭鉱の沿革に就いては不明の点が多く』

と書いてあるではありませんか!(;゜0゜)しかし、だいたいのことは分かりました!



まず場所は『夕張郡登川村字大夕張小字夕張山』です。さっそくGoogle mapで検索すると……出てきませんでした(´・_・`)
古い地名なんでしょうね…!!

仕方ないので別の書籍で確認です!

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こちらの「そらち・炭鉱の記憶集」によると、だいたいの場所はこの辺りのようです。…というのも、この辺りはシューパロダムができた時に道も変わってしまって、町もダムの底に沈んでしまったようです。住所では「夕張市鹿島〇〇町」という住所になるようですね。





さて!場所を発見するだけでなんだか時間がかかりましたが、続きまして沿革です!先ほどの「北海道炭鉱資料総覧」に戻りますと

  • 明治28年 福山米吉氏が試掘権を得る
  • 明治32年 京都合資会社が採掘特許を設定
  • 明治39年 夕張炭砿株式会社が設立
  • 明治42年 大夕張炭鉱株式会社と商号変更
  • 明治44年 三菱が石炭販売権を掌握
  • 大正5年 大夕張炭鉱株式会社より三菱合資会社名義

となっています。(一部をピックアップ)
しかし三菱になってからについてはここには書かれていませんので…

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次はこれを見ます!
こちらによると

『昭和初期に南部地区での炭層条件の悪化から、北部となる現在の鹿島地区に操業拠点を移動、大夕張という地名は以降ここを指すようになった』
(「炭鉱 盛衰の記憶」(北海道新聞社、pp.49)

そうです。
その続きには

『昭和四十八年に大夕張炭坑は閉山、当時既に開発を進めていた南部地区地区、南大夕張の新鉱に再び操業地区が戻る形となっている』

とありますので「三菱大夕張」としては大正5(1916)年~昭和48(1973)年までの約57年間操業していたようですね。

ちなみに先に出てきた「南大夕張」という炭鉱は三菱から分離してできた会社のようで

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この会社で発行したものと思われる冊子によると

昭和2年 三菱鉱業株式会社から大夕張砿業所 独立
昭和44年 三菱鉱業より分離独立して三菱大夕張炭鉱株式会社となる
昭和45年 営業移行、南大夕張砿業所として発足

となっていますので閉山前には同じ三菱系の炭鉱として操業していたようですね。

その後

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こちらの年表によると南大夕張炭鉱は昭和64(1989)に閉山しています。(ただ、本の冒頭の年表では平成2年が閉山と書いてあるのでどちらが正解なのでしょうね…?)






沿革を追うだけでもこの資料を行ったり来たり……!!!(゚д゚)
しかし全然今まで知りませんでしたが、最初は南から始まった炭鉱が北に移動し、また南に戻り、さらに閉山後は町がダムに沈む……とかなり激動の炭鉱ですね。

この写真集によると昭和30年に「石炭鉱業合理化臨時措置法」が施工され、炭鉱の合理化・閉山が始まったそうです。

ここからの資料は……これを読めばわかるでしょうか!?

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「『おい、三井芦別に労働組合が出来たぞ 俺たちも労働組合を作ろう』
有志 呼応して 鹿島革新同志会 10月12日 誕生
大夕張労働運動の 黎明を迎える
対立する組織もあり 相語らい 胎動激しく
11月10日 大夕張炭砿夫労働組合の創立を見る」
「未来にむかってたくましく歩もう」(三菱大夕張炭鉱労働組合解散記念誌、pp.7)

恐らく直前に昭和20年の記述があるので、労働組合が出来たのも昭和20年の終戦の頃なのでしょうか。

この先を追うと組合はたびたびストなどで会社と戦い、昭和35年の三池闘争に介入したことも触れられていました。その後は

『三十六年、南卸放棄、鉱泉沢と北卸の生産も石炭枯渇で三十九年、四十年と奥部に移行し大夕張の生命線となる』
『深部は自然発火多発、温度は二十七~八度、作業時間の短さを労働密度でカバーして、俺のとこの山だけは何としてでもとの意気込みは強く……』
『新石炭政策に対応して三菱鉱業は四十四年五月十四日、臨時経協で石炭部門の分離を提示』
『七月十二日スト解除、三菱大夕張炭砿株式会社 大夕張砿業所となる』

その後は坑内条件が悪化していく中で次のように会社から閉山の提案があったそうです。

『四十八年四月十九日、運命の日ともいうべき臨時経協の申し入れ、『大夕張を閉山し、仲間500人は南夕へ』と、恐れていた、一番恐れていた会社の提案』

組合は閉山を阻止するために戦いますが、条件闘争へと移行したそうです。そして

『全山投票は圧倒的多数をもって、昭和四十八年六月二十九日、全員解雇として山を閉じることとなった』

と閉山の様子をつづっています。





そうなると…やっと腕章の話に戻りますが、この腕章は恐らく合理化の始まった昭和30年~閉山の昭和48年の間の物でしょうか。しかも『書記』ですから組合の中でも役職の付く方の持ち物だったのでしょうね。

これと全く同じものではありませんが、組合の解散誌には似たような腕章が!!

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この腕章も、この写真のように合理化・閉山に向かう中で家族やヤマを守るために闘った誰かの腕にあった物なのでしょうね(´∀`*)

しかし……ちょっと知らない炭鉱の組合について調べようと思っただけで軽く3時間を越え…
積まれた資料もこの有様……

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それなのに

「結局、この腕章をしていた『書記』はどんな仕事をしていたの!?」
っていうことや
「閉山の理由は坑内状況の悪化&合理化で合ってるの!?」
という調べる中で湧いてきた私の疑問は解決されないままです(´・_・`)

しかも大夕張から「移行」した南大夕張については手付かず状態。
その上、操業中の様子…大夕張炭鉱ではどうやって石炭を掘ってその石炭には、会社にはどういう特徴があって……とかもまだまだ調べられてません。
さらに言うと大夕張鉄道という未だにファンも多い鉄道があったにも関わらずそちらも全く調べず仕舞い……。

消化不良です!(;д;)
詳しくない人間が調べものをするとこうなるのですね…。

元々歴史系に弱い人間なのですが、もうちょっと赤平以外についても覚えないとならないですね~!

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以上、ひとつの腕章から始まった三菱大夕張の旅(!?)に出たカニだったのでした。


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