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「明治日本の産業革命遺産」世界遺産に登録決定!!

2015/07/06 [Mon]00:58
category: 炭鉄港−北の近代三都物語
りじちょーです。今回は号外ブログ。

ようやく「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が決定しました
ここ数日、難産という報道論調だったので、固唾をのんでUNESCO公式ホームページの会議ライブ中継を見ていましたが、どうなることやらとあれこれ心配していたためか、はたまた中継回線が細切れだったためか、案外あっけなく決まったという印象です。
これを契機に、産業遺産の社会的な関心度が飛躍的に向上するのではないかと期待され、同じような素材をもとに活動している我々にとっても嬉しい限りです。
今回の世界遺産指定に向けてご努力されてきた多くの方々に敬意と表するとともに感謝をし、ともに喜びを噛みしめたいと思います。

8県23件にわたる構成資産を年代順に並べてみると、その最初に来るのが1851年の「集成館」(鹿児島市)です。

(旧「集成館」機械工場、写真提供:株式会社島津興業)
薩摩藩主・島津斉彬によって始められた集成館事業では、欧米列強による植民地化を防ぐため、大砲や造船を核としながら、紡績・ガスなど民生部門も含めて多岐にわたり、様々な産業を興しました。1901年・八幡製鉄所稼働に至る「日本の産業革命」50年のストーリーの中で、スタート地点として最も重要な場所であると言えます。
それなのに、5月以来の世界遺産報道では、端島炭鉱(通称=軍艦島:長崎市…圧倒的迫力でテレビ映りが良い)や韮山反射炉(伊豆の国市…東京に近くて取材しやすい)などの影に隠れて、全くと言っていいほど取り上げられていません。
インパクトの大小に負った関心では、世界遺産の登録も一過性のブームで終わってしまいます。ここは是非、薩摩に頑張ってもらわねば…と、私りじちょーは、さっそく今週木曜日に鹿児島へ飛んで応援助勤をして参ります。

何でこんなに薩摩に肩入れするのかというと…
北海道の近代化が、ひとえに薩摩藩士たちによって推進された歴史的な事実があるからです。
北海道開拓長官の黒田清隆・西郷従道、北海道炭鉱鉄道の堀基、札幌ビールの村橋久成、札幌農学校の調所広丈、ジャガイモの元祖・湯地定基、そして屯田兵の永山武四郎…。
それでは、なぜ薩摩藩士たちは、こんなに北海道に肩入れしていたのか?
島津斉彬の「北海道開拓構想」に行き当たります。斉彬は、北海道は日本の北の守りの要で、北海道を守るためには、軍備よりも、人を送り込み開拓する方が良いと考えていました。1855(安政2)年には、家臣に開拓場所・品目・方法などを調べるように命じ、水戸の徳川斉昭にも北海道開拓の必要性を伝えています。
このような斉彬の思いが、「殿の遺訓」として家臣団に引き継がれていったのです(←島津興業社長・島津忠裕さんの証言)
黒田らは薩摩で培われた諸制度・経験を、近代的なものに焼き直して北海道に持ち込みました。このため、日本の南端にある薩摩藩と、日本の北端の北海道で、共通する・似ているものが数多く存在するようになりました。例えば、開拓使が札幌の創成川東側に作った工場群(蒸気器械所・水車器械所・鍛冶場、周囲の麦酒醸造所・紡織所・製網所)は、軍需だけでなく民需産業の育成に力を注いだ薩摩藩の工場群「集成館」がモデルとなっているのではないかと考えられています。
    島津斉彬
      ↓
    集成館1851年
      ↓
    (50年)
      ↓
    八幡製鉄所1901年


という、今回の世界遺産のストーリーの一方で

    島津斉彬…起源は同じ
      ↓
    集成館
    開拓使
      ↓
    幌内炭鉱1879年
      ↓
   (わずか30年!)…倍速スピード
      ↓
    輪西製鉄場1909年(現・新日鐵住金室蘭)…ゴールはほぼ同着


という、同じ起源からスピンアウトしたストーリーが北海道にもあるのです。

私たちは、今回の世界遺産と同種同等の地域資源と歴史性をもとに活動していることを誇りとして、今後とも活動を進めて行きたいと思っています。
まずは、できるだけ早いうちに「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」で、今回の世界遺産登録に関連した解説展示を行いたいと思っております。
現在、突貫工事で作業中です。準備ができしだいご案内しますので、もう少しお待ち下さい。
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