そらち★ヤマの記憶だより

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アートプロジェクト会場の昔は…

2015/10/03 [Sat]17:15
category: 炭鉱の記憶
10月25日まで土・日・祝日開催中のそらち炭鉱の記憶アートプロジェクト2015
今回の会場は、昭和55年に「石炭の歴史村」の施設として「石炭博物館」ができ、その3年後にオープンした遊園地があった場所で、ここで遊んだ記憶の方が強いという方が多いでしょう

「石炭の歴史村」ができる前、ここは石炭の宝庫とまで言われた、北炭夕張炭鉱

明治9年、アメリカ人地質学者ライマンの調査で石炭の存在が確認され、
明治21年、ライマンの門下生のひとり坂市太郎によって石炭の大露頭が発見された場所です。

夕張炭鉱の最北端に位置していたのが第一鉱。主体は、千歳、最上、北上です。
最も古い坑口は明治23年に開坑した千歳坑口(旧名・一番坑)とされています。

そして第二鉱は、夕張炭鉱の主力炭鉱。
この第二鉱の位置に「石炭の歴史村」が建設されたのです…

こちらの写真をご覧ください↓↓
※北炭70年史より

DSC_0534 (1024x721)

左下方向に線路が何本もあり、駅構内だったのだなと確認できます。
この写真ではちょっとわかりませんが…線路の左に夕張駅のホームがありました。
そして、線路の右にある大きな赤い屋根の建物。これが夕張炭鉱の選炭施設です!
ボイラー煙突も確認できますね。これが今も残る、あの煙突!!

写真の上部の方には、円形の広場のような場所が確認できます!
これは「天龍グラウンド」。そうです、野球場です

この「天龍グラウンド」辺りに今でも残っていて、すぐ近くで見れるのがここ↓↓
明治33年に開坑した天龍坑口

DSCN6061 (1024x751)

石炭博物館内の模擬坑道を見学して、外に出るとすぐそばに見れる坑口です!
この坑口のすぐ上には、 日本一厚い露出石炭層の大露頭も見ることができます

この辺りの位置関係、お解り頂けたでしょうか??

1枚目の写真を見ると、炭鉱施設関連の建物、そして、上部の山の方にはびっしりと炭鉱住宅…。
どれだけ多くの人々が、この場所で働き、この場所で暮らしていたのでしょう…。

ぜひ、遊園地時代より前の、夕張炭鉱全盛期当時の様子を想像しながら、アートプロジェクト会場を歩いてみてください。

「夕張の歴史」を、改めて考えさせられるのではないでしょうか…


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