そらち★ヤマの記憶だより

あなたの知らない空知の情報をお届けします!

3月のカレンダーは沼田

2016/03/05 [Sat]17:23
category: マネジメントセンターについて
あっという間の2月が終わり…
3月になりました。
3月の炭鉱遺産カレンダーはこちら

12790063_585395411610606_1357625524_o.jpg

沼田です!
写真は、雨竜炭鉱の選炭施設です

沼田町に石炭の存在が明らかになったのは、
アメリカ人技師ライマンによるもので、明治6年まで遡ります

その後、浅野地区でも調査が進められますが、
雨竜炭鉱で実際に出炭が始まったのは、昭和5年の明治鉱業昭和炭鉱の出炭に続く、昭和6年のこと。
浅野総一郎によって開かれたため「浅野雨竜炭鉱」として発足しますが、
昭和27年には、鉱業権が移譲され「古河雨竜炭鉱」と名前が変わります

雨竜炭田の開発や木材の運搬を目的として敷設された留萌鉄道は、
当時80歳を越した浅野総一郎が「私の目の黒い中に必ず出炭せよ」と言ったことにより、敷設が急がれました
(しかし、出炭目前の昭和5年に浅野総一郎は亡くなってしまいます。)

昭和4年の留萌鉄道工事開始に伴い、人口は急激に増加。
沿線は、寺院、劇場、病院、郵便局、学校などの施設と商店街で賑わいましたが…
雨竜炭鉱は昭和43年に閉山。

無人となった浅野地区の市街地は、平成4年の沼田ダム完成によりホロピリ湖に水没しています。
巨大な選炭施設は、水没せず今も見ることができます。

本人が生きている間には叶わなかった浅野総一郎の出炭への思い、
そして閉山を経て、開発による街そのものの消失は、
なんだか考えさせられるドラマですね

マネジメントセンターの販売・閲覧書籍にも、詳しく書かれていますので、
ぜひお手に取ってみてください

12837329_585463194937161_518287666_o.jpg
関連記事
trackback --   Comment (0)   編集

この記事に対するコメント


この記事に対するコメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する