そらち★ヤマの記憶だより

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6月のカレンダーは上砂川

2016/06/01 [Wed]18:24
category: 炭鉱の記憶
今日から6月
初夏のような5月末から一転、昨日から少し寒くなってしまいましたね~。
みなさん、風邪にはお気をつけて

6月の炭鉱遺産カレンダーは上砂川の三井砂川炭鉱中央立坑
月の光にほの明るく照らされた立坑が素敵~

20160601.jpg

三井砂川炭鉱の開鉱は、明治32年に遡ります。
昭和62年に閉山するまで、
最盛期には年間150万トンを上回る出炭量を誇っていました

砂川―上砂川間に三井専用鉄道(国鉄)が開通した大正7年に、
三井砂川炭鉱に働く人びとの子弟の教育のため、上砂川小学校が設立されました。
校舎は、三井砂川炭鉱第一立坑が見下ろす場所にありました

センターで閲覧・貸出できる上砂川小学校開校70周年記念誌では、
三井砂川炭鉱とともに歩んだ歴史を読み取ることができます。

上砂川小学校1

『子ども達の帰った後教室にいると窓がゆれるので
”スワ地震か”と驚いたら、炭鉱の圧搾機の振動だったことも
一度や二度ではありませんでした。
低学年の教室からは、立坑の昇降が見え、グランドへ出ると
大きなズリ山が見え炭鉱の中の学校そのものでした。』


上砂川小学校

『うちのお父さんの仕事は、坑内の全部のいらない水を、
ポンプで、選炭機というところへ送る仕事をしています。』

小学生の作文もありましたよ

また、紙面には中央立坑の写真も

上砂川小学校2
右側奥に建っているのが小さく見えます。

『太平洋戦争の激化にともない、石炭増強の国策は、
三千四百余名の在校生を容する全国的大規模に躍進したのでありますが、
このマンモス校上砂川小学校を支えてきた三井鉱業所の、
教育の熱意を語らずにして、本校の七十年はあり得ないのであります。』

上砂川小学校3

三井砂川炭鉱閉山を見届け、
平成6年に中央小学校と統合したため、閉校を迎えた上砂川小学校。
記念誌に掲載されている沿革史には、児童生徒数の変動や、
三井砂川炭鉱の移り変わりについても詳しく書かれています。
ぜひお手に取ってみてください
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