そらち★ヤマの記憶だより

あなたの知らない空知の情報をお届けします!

次の展示は「万字炭鉱写真展」です!

2016/08/28 [Sun]17:30
category: マネジメントセンターについて
最終日も朝から多くの方にご来館いただき、
賑やかに、「ジンギスカン鍋博物館 in 石蔵」出張展示が終了しました。
ご来館された皆さま、鍋をご寄贈頂いた皆さま、誠にありがとうございました

この後、ジンギスカン鍋は、岩見沢市万字の「旧溝口商店」にて、展示公開されます。
正式オープンは11月11日(国鉄万字線が開通した日)です
※正式オープン前にも開館する日があるようです。
溝口館長の都合のいい時のみ万字に来て開館するので、ご来訪時は都度確認されるのが良いですよ

詳細はこちらから ⇒ ジンギスカン鍋博物館/ジン鍋アートミュージアム


さて、
マネジメントセンター石蔵での、次の展示は…

こちら↓↓

page-0001 (724x1024)page-0002 (724x1024)

万字炭鉱写真展です
再び、万字関連の展示です!

今回、この写真展を開催するにあたり、
万字で生まれ、
万字炭鉱で勤務し、
閉山時は万字炭鉱の書記長をされ、
そして今現在も万字で暮らしていらっしゃる、
万字の重鎮、佐々木昌美さんから、万字の貴重な写真と記憶をご提供いただきました

DSCN0377 (1024x752)
※今年の春、訪問した時の様子です。

元々、栗澤村(万字)は、岩見澤村でした。
栗澤村の始まりの事業は木材伐採を始め、明治初年頃、幌向川を利用して木材を搬出した事から始まります。
最初に土地の貸下げを受けたのは明治19年、札幌の酒造家だそうです。
明治23年に和歌山人が農業を目的に家族を連れて移住し、農業経営の元祖となっているそうです。
明治25年、岩見澤村から栗澤村として分村しました。
(2006年に、栗沢町は再び岩見沢市と合併されました)

万字地区一帯は未開の森林山岳地帯で、「クッチャンナイ」というアイヌ語で呼ばれていたそう。
朝吹家が開発を進めていた鉱区を、明治36年に北海道炭鉱汽船が譲り受け、
ここを、朝吹家の家紋「卍」から、万字炭鉱と名付けられました。

その後、飛躍的に出炭量を増やし、大正7年には年間34万トンに達し、北炭の優良鉱だったそう

page-0034 (1024x676) (2)

けれど、戦争中の乱堀と自然条件の悪化などにより、昭和35年に北炭は企業整備の一環として分離し、万字炭鉱株式会社として新たに設立されました。

昭和51年、台風の影響で坑道が水没、ポンプなどの機械も壊れてしまった事がきっかけで、閉山となってしまいました。

閉山から40年…
そんな万字炭鉱の歴史、万字のまち、暮らしを写真展で紹介します

会期:9月7日(水)~9月30日(金)
   ※月・火曜休館 祝日の場合は開館
場所:そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター石蔵
時間:10:30~17:30


お知らせ
9月22日(木祝)は、写真を提供して頂いた佐々木昌美さんのお話の会があります
聞き手は、中学1年生の時、初めて炭鉱のフィールドワークで万字炭鉱を訪問した吉岡りじちょーですよ~
   
こちらもどうぞ、お楽しみに


関連記事

この記事に対するコメント


この記事に対するコメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
→http://yamasoratan.blog62.fc2.com/tb.php/2291-671ab596
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)