そらち★ヤマの記憶だより

あなたの知らない空知の情報をお届けします!

万字炭鉱のお話の会、終了しました。

2016/09/24 [Sat]22:39
category: マネジメントセンターについて
連日多くの方が見学にお越し頂いている万字炭鉱写真展」
会期は残り、4日間となりました


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今日も、万字に住んでいた方や、万字炭鉱で働いていたという方々がおみえになり、
会場の石蔵で、「何年まで万字にいたの?」「おいくつですか?」と、話が盛り上がっていました

一昨日の22日には、今回の展示写真のご提供者、佐々木昌美さんの「万字の記憶」を語って頂きました。

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お彼岸なので来られない…という声も頂きましたが(すみません…💦)
約35名さまがお集まりになりました
(石蔵が満席になる事も考え、事務所側のモニター中継も用意しました)

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前半では、写真を見ながら当時の様子を語って頂きました
会場の方も気軽に発言し合い、和気あいあいの雰囲気。

「あの建物は太陽灯室よ!」
「みんなが手すりにつかまって、ぐるぐる回ったものだ」など、
へぇ〜という発言ばかり
※太陽灯室とは、北炭の炭鉱に多く作られていたようですが、坑内に入り、光を浴びる事が少ない炭鉱マンの方たちのため、健康目的で建てられた、現代でいう日焼けサロンのようなものです。
歌志内には建物が残っていますよ!

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万字小中学校の、鼓笛隊の写真の紹介では、
先頭に写っている佐々木さんの娘さんの列の後方に、「私もいたんです!」という女性も発言されていました

一枚、一枚の写真に、皆さんの思い出がたくさん詰まっていますね…!!


後半では、中学生の時に幌内から万字炭鉱へ行って視察を行った、吉岡りじちょーが、佐々木さんと「万字炭鉱」について語り合いました。
閉山時書記長をされていた佐々木さんだから知っている、裏話も飛び出しました
北炭から分離される時の思い、取った対応、
閉山に繋がったきっかけが、集中豪雨で坑内が水に浸かって機械類が故障したという事の他に、夕張炭鉱の影響もあった事。
閉山後、夕張新鉱へ移った炭鉱マン、空知炭鉱へ移った炭鉱マン、それぞれの行く道の違い…

やはり、当時を知る方のお話は、重みがあって大変貴重です

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佐々木さん、この度は大変お世話になりました
まだまだ話の続きをお聞かせください!!

今回のお話の会の様子は映像に撮りましたので、DVDで見れるように用意しておきたいと思います
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