そらち★ヤマの記憶だより

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ぷらぷら歌志内レポート【前編】

2016/11/20 [Sun]20:56
category: 炭鉄港−北の近代三都物語
11月6日(日)
全14回開催された「ぷらぷらまち歩き」最終回、
「ぷらぷら歌志内」が行われました

テーマは『住友歌志内鉱と、北炭神威鉱の跡地を巡る』

歌志内の炭鉱の歴史が始まったのは、明治23年に遡ります
明治22年に北海道炭鉱鉄道会社が幌内炭鉱と幌内鉄道の払い下げを受けた翌年、
「ペンケオタシナイ」などと呼ばれた原生林の未開の地に、空知採炭所を設置したのが始まりです。
翌24年には鉄道を開通させ、駅名を「歌志内」としたことから、
まちの歴史も始まったと言われています

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この日のガイドは、歌志内出身の当NPO会員 本間崇さん

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17名のお客さんにお集まりいただき、道の駅うたしないチロルの湯をスタートしました

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チロルの湯は、住友歌志内鉱の砿事業所跡地を活用して作られた施設
温泉には、坑口からの鉱泉が利用されています
坑口は施設の裏の方に数か所あり、それは後ほどご案内します…と本間さん。

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一行は、現在地の中村地区から、神威地区へ向かいます。
最初に向かったのは、二坑橋

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こちらの看板では、「抗」の字になっていますが…
正しくは炭坑の「坑」のようです

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というのも、この橋は二つのヤマの間にかかっているそう!
進行方向(参加者さんが見ている方)が北炭で…

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チロルの湯方面に振り向くと、住友
そしてここからが神威地区となります。
橋を渡ると、きっとまちの雰囲気も違っていたんでしょうね

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やがて、旧市立神威小学校が高台の上に見えてきます。
こちらは小学校閉校後、市立歌志内中学校の校舎としても使われたことがあるのだそう

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敷地の奥の方には、なんとなく石碑が見えます。
が、なぜこんな場所に 何が書かれているかまでは分からず…

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そして、ペンケ歌志内川沿いには、商店街が立ち並んでいたそうです。

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やがて見えてきたのが、
北炭神威鉱の跡地にあたる場所
塗りつぶされた看板に「出入口」と見えますね
周囲には、硫黄のにおいがしています。

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北炭神威鉱は、明治24年に空知採炭所神威砿として開坑しました。
その後、大正6年に歌神鉱区、臼威鉱区を買収し神威坑として操業。
この頃日本では、戦争の勃発とともに、石炭需要も増大していきました。
さらに、昭和14年に空知鉱業所設置により、神威鉱として新設されます。
その後、昭和20年に終戦を迎え、日本では経済復興のために、石炭増産に力が入れられました。

しかし、昭和38年にエネルギー革命が進行し、北炭の合理化計画のため、
神威鉱は、北炭空知鉱とともに閉山となります
炭鉱の盛衰から、時代の流れが読み取れるよう…

でも、入り口前にかかる橋には、「北斗橋」という名前が
 
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神威鉱閉山後、同年に北斗興業(株)に操業が引き継がれているため、
「北斗」の名が付けられているのだとか。
が、しかし、
この北斗炭鉱も同年に閉山してしまいます…

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橋のそばには、小さなズリ山が!

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手前の高台がズリ山だそう。

中央(木柱の奥)に見えるフェンスのある場所は、
神威鉱のグラウンドだったそう。

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昭和32年当時の様子 (「うたしない 炭鉱の記憶写真集」より)
方角は違っていそうですが…

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神威鉱の跡地では、現在も 空知炭礦株式会社による露天掘りが行われています。
(露天掘りの現場の手前には仕切りが置かれており、立ち入り禁止です)
また、雪や木で見えにくくなっていますが、左手の遺構の奥にも、鳥居や、坑口があるそう。

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そして、この場所から一段高く、崖の上のような場所に…

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本日のメインスポット、大正13年に造られた変電所
レンガ造りが美しいですね~
夕張の清水沢火力発電所から送電されていた当時、北限がこの変電所だったそう。
そして、この変電所から、周辺の炭鉱へ電気を送っていました
参加者のみなさん、寒さを忘れて魅入っていました…

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こちらが昭和30年当時の様子
(「うたしない 炭鉱の記憶写真集」より)

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当時の写真にも写っている、変電所横の特徴的な4本の木柱、
まだ残っていました!

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この後も、ぷらぷら歩きはまだ続きますが…
ちょっと長くなりそうなので、後日、【後編】をお届けいたします
どんなところをぷらぷらするのでしょうか~?
どうぞお楽しみに
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