そらち★ヤマの記憶だより

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ぷらぷら歌志内レポート【後編】

2016/11/23 [Wed]20:17
category: 炭鉄港−北の近代三都物語
前回のブログでお伝えした「ぷらぷら歌志内レポート」【前編】
今日は【後編】をお届けいたします

北炭神威鉱の跡地で、レンガ造りの変電所を見た一行
周辺には、神威選炭場があり、西山坑から高架索道で石炭を運んだそうです

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そして、神威鉱跡地から、道路の反対側を見下ろすと…
黄色の家の奥が、扇状地のようになっていて、そこに炭住が並んでいたそう。

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黄色の家の、やや右に細い道があり、その奥を登っていくとあるようです。

そこは鳩ケ丘という地区で、炭鉱操業当時は1600名もの人が暮らしていたそう
現在は更地となっているようです。
こちらは昭和30年の様子(「うたしない 炭鉱の記憶写真集」より)

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道道114号線をさらに進み…「錦ケ岡入り口」という看板の奥、
老人福祉センターの近くに、旧太陽灯室が。

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※現在は個人の住宅になっているため、写真は遠目です。

太陽灯室とは、日光の届かない坑内で働く人々が、人口の太陽灯によって、
日照時間不足を解消するために設備されている施設
りじちょー曰く「炭鉱経営の日焼けサロン」
青いトタン屋根の、木造建築が、なんだか懐かしい。

太陽灯室として使われた後に、郵便局としても使われていたことがあるそう
写真では見えませんが…家の壁に昔の「郵便貯金」のロゴマークが付いています。


また、周辺には、旧道なども見ることができます。
写真を見ると分かりにくいかもしれませんが…

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航空写真だと、少し分かりやすいかもしれません
まっすぐの道(道道114号線)と交差している、U字の道が旧道です

スクリーンショット (11)

この旧道から、旧歌志内線神威駅はすぐそば。
今も数件のお店を見ることができますが、昭和30,40年代当時は、
大きな駅前商店街だったようです

(「うたしない 炭鉱の記憶写真集」より)
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そして、神威橋を渡ると…神威駅跡があります。

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神威地区では、明治24年に北海道炭礦鉄道空知線が開通するのと同時に、
北炭神威鉱の積み出し用専用線が開通。
その後、明治29年に、一般駅として、砂川-歌志内間に開駅しました
明治39年に鉄道が国有化した後は、北炭神威鉱専用線の他、住友新歌志内鉱専用線、
三井文珠鉱専用線、住友歌志内鉱専用線の管理駅として、歌志内の石炭を送り出し続けました。
昭和63年に歌志内線が全線廃止したことで、廃駅となっています。

現在は駅の跡に石碑が建てられており、
線路跡(焼山-歌志内間)は、サイクリングロードとして整備されています

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ここで、ぷらぷら歩きは折り返し。
サイクリングロードを、住友方面(チロルの湯方向)へ向かって歩きます。
行きと帰りで歩く道が違う、楽しいコースです
鉄道が走っていた頃に、思いを馳せながら…

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途中、神楽岡の入り口付近に、神威史跡広場が。
歌志内歴史資料収集保存会が中心となり、散逸していた石碑を集約したもので、
「新歌志内礦之碑」「馬魂碑」「安全之碑」などが見られます

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そして、サイクリングロードを進むと…
道の駅うたしないチロルの裏側へ出ます
階段を登って、チロルの湯へ向かいます。
ぷらぷら歩きの冒頭で本間さんが言っていた坑口などが、駐車場奥にあるそう!

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駐車場の中にある、小さな白い建物には、住友の密閉坑口(鉱泉源)があるのだそうです。

山霊観音に手をあわせて、ご挨拶をしてから…

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雪でちょっと見えにくいかもしれませんが、
住友歌志内鉱の密閉坑口です。

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全部が坑口というわけではないのでは、という参加者さんもいましたが、ちょっと判別つかず…でした

住友歌志内鉱は、明治38年、個人経営の中村炭鉱として開坑しています。
大正元年に買収により歌志内鉱となりましたが、
その後も奔別炭鉱(株)、山下鉱業(株)、北海道鉱業(株)と、経営者が変わり、
昭和3年に、住友坂炭鉱(株)が経営となりました。
(その後も、転々と社名が変わるなどしています…

(「うたしない 炭鉱の記憶写真集」より)
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昭和39年には鉱業所に昇格しますが、昭和43年に赤平鉱業所と合併しています。

昭和46年、当時同鉱を経営していた住友石炭鉱業は、
歌志内・赤平・奔別の三山再建策を提示していたそうですが、
同年7月にガス突出事故が起き、操業再開の見通しが立たず、住友歌志内鉱は10月に閉山となりました
事故では30名の人命が失われ、当時も新聞などで大きく取り上げられたそうです。

当時の最新技術の素晴らしさ、国策や合理化などの時代背景、
事故の悲惨さ、人々の想いなど、炭鉱遺産には様々な記憶があるのですね

住友歌志内鉱で働いていたという、ぷらぷら参加者さんの
「1番方のときの早起きがつらくて、炭鉱は数か月で辞めちゃったよ」というお話も聞きつつ…
道の駅チロルに到着 

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みなさん、寒いなか大変お疲れ様でした
本間さんから、「来年はどんなルートでぷらぷらするのがいいかな」というお言葉もいただきましたよ♪
来年の『ぷらぷら歌志内』も楽しみですね

帰りは、原田さんに空知炭鉱立坑の近くまで、車で寄り道してもらいました
車窓からの眺めですが…迫力あります

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お土産には、道の駅で売っているお漬物を♪
ゆず風味の大根醤油漬けと、梅にんにく。どちらもおいしいですよ

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これで全14回の『ぷらぷらまち歩き』は終了です。
改めて、参加者のみなさん、ガイド役のみなさん、どうもありがとうございました
来年はどこをぷらぷらするのかな?
どうぞお楽しみに
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