そらち★ヤマの記憶だより

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「樺戸道路」

2017/03/10 [Fri]20:57
category: 炭鉱の記憶
月形~峰延~三笠を結ぶ、通称樺戸(かばと)道路を、ご存じでしょうか??

呼び名はなんとなく聞いた事がある…という方はいらっしゃると思いますが、
その歴史について正しくご存じの方は少ないかもしれませんね。

この「樺戸道路」を解説したパンフレットが出来たのです

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「北海道はだけですか?」
という、ストレートな投げかけから始まります
敢えて挑むような、制作者の意図が…??

樺戸道路とは、
明治14年に開設された月形の樺戸集治監と、明治15年に開設された三笠の空知集治監を結んだ道路。
集治監とは、今でいう刑務所の事です。

月形から峰延を樺戸集治監の囚人が、
峰延から三笠を、空知集治監の囚人が作(らされ)りました。

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北海道の開拓には、多くの囚人が関わっていました。
影の存在であった囚人たち…。この樺戸道路を作るにも、鬱蒼と生い茂る樹木と、泥炭地帯であるこの場所で、どれほど大変な事だったのか…。

こちらは月形の樺戸博物館の展示の一部です↓↓

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囚人たちは赤い服を着せられていました。
脱獄した時に目立つためです。
なので、「赤い人」や「あかんぼ」などと、呼ばれていたそうです。

泥炭地のため、木材を敷き詰め、線路の枕木のように並べ、その上に土も盛り、さらに石狩川の砂利をまいて道路を作ったそう。
鉄丸を足首にくくりつけられて作業していた囚人もあったそうです。

なぜ北海道に監獄が…??
明治政府に不満を持つ士族の反乱が起こり、政治犯や、重罪人が増えたための解決策として、
まだ未開の地であった北海道に囚人を送りこみ、北海道開拓にあたらせるべき、という考えからです。

樺戸博物館へ行くと、
なぜ月形の地を選んだのか、
囚人はどのように使役させられていたのか、
豊富な資料、パネル、映像などで、大変わかりやすいです

以前の記事⇒ 2014年5月2日ブログ
※現在、樺戸博物館は冬季休館中なので、4月以降にぜひ


そして、博物館へ行く前にはぜひ、この「樺戸道路」パンフレットをお手にどうぞ

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樺戸道路の紹介、位置関係、だけではなく、樺戸道路周辺のおすすめ見学先や、
石狩川周辺の治水事業、農地開発について、わかりやすく紹介してあります。

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樺戸道路ができるまでの歴史を知って、
この樺戸道路を通ったら…、
今までとは違う感覚になるはずです

知れば知るほど、引き込まれ…
気づかなかったまちの姿が見えてきます


お問い合わせは、
「樺戸道路を活用した観光周遊ルートづくり協議会」
事務局:美唄市経済部商工観光課内
☎:0126‐63‐0112

※尚、このパンフレットはマネジメントセンターでも配布しております

(OLでした)


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