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そらち★ヤマの記憶だより

あなたの知らない空知の情報をお届けします!

【寄贈品紹介】「三菱大夕張」腕章

2017/12/20 [Wed]15:52
category: 炭鉱の記憶
こんにちは!赤平から岩見沢に通っているスタッフ、カニです

そうそう、赤平と言えばこんなニュースもありますね!

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【北海道赤平市】炭鉱遺産を活用する新しい施設のオープニングスタッフ!2名募集

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赤平に炭鉱仲間(!?)が増えるんですね~~.゚+.(・∀・)゚+.
ヤマを愛する素敵な方が来ますように……!!

(ヤマを愛する方って希少ですかね?)






さて、そんなセンターにまた新たに寄贈していただいた炭鉱関連の物がありますので、ご紹介させていただきます!
それがこちら。

1220kani1.jpg 

「三菱大夕張」と書かれた腕章です!





三菱大夕張と言えば……





……

…言えば……?





夕張にあった大きい炭鉱ですが…それしか無知なカニは分からない…!!!
しかもこの腕章、「書記」って書いてますが書記ってなんでしょうね!?く、組合…?

ひとまずこの浅い知識のままではセンタースタッフとして危ういです。そもそも夕張ってカニにとってはイマイチ遠い町で、年に1回行くか行かないかという状態で地理関係も全く分かりません。
これを機会に「三菱大夕張」炭鉱について勉強したいと思います((´・ω・`;))





まず夕張市ですが、市のHPによると

『明治7年(1874年)、アメリカ人鉱山地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンの探検隊が夕張川上流の炭鉱地質を調査、その後明治21年(1888年)、道庁の技師坂市太郎が志幌加別川の上流で石炭の大露頭を発見したことから「炭鉱の街夕張」の歴史が始まりました。』

『明治24年(1891年)の炭鉱開始以来、炭鉱の街として栄え、昭和18年(1943年)には市制が施行されました。一時は大小24の鉱山、人口12万人を数えましたが、昭和40年(1965年)代に入って次々に閉山。「炭鉱の街夕張」としての歴史に幕を閉じました。』

『炭鉱に替わって夕張の顔となったのが「観光」です。』『いち早く新たな街づくりに着手、北海道に数ある元・炭鉱の街の中で、最も活性化された街として注目されています。』

とあります。



そんな中にある「三菱大夕張」。まずは困った時の「北海道炭鉱資料総覧」です!

1220kani2.jpg 

……夕張、炭鉱いっぱいありますねぇ…。

1220kani3.jpg 

中には「クルキ」とか「蜂の巣」とか気になる名前の炭鉱がありますが、ぐっと我慢して三菱大夕張のページを…

…おや?

  • 「大夕張」
  • 「大夕張新坑」
  • 「南大夕張」

と3つも似たような名前が!そのページを開くとただ一行

『三菱社ー大夕張、大夕張新坑、南大夕張』

との記述。
三菱の炭鉱だったことは間違いなさそうですが…それ以外が良くわかりません。また同書籍の「大夕張炭鉱」のページもあったのでそこを見ると

『この炭鉱の沿革に就いては不明の点が多く』

と書いてあるではありませんか!(;゜0゜)しかし、だいたいのことは分かりました!



まず場所は『夕張郡登川村字大夕張小字夕張山』です。さっそくGoogle mapで検索すると……出てきませんでした(´・_・`)
古い地名なんでしょうね…!!

仕方ないので別の書籍で確認です!

1220kani4.jpg 

こちらの「そらち・炭鉱の記憶集」によると、だいたいの場所はこの辺りのようです。…というのも、この辺りはシューパロダムができた時に道も変わってしまって、町もダムの底に沈んでしまったようです。住所では「夕張市鹿島〇〇町」という住所になるようですね。





さて!場所を発見するだけでなんだか時間がかかりましたが、続きまして沿革です!先ほどの「北海道炭鉱資料総覧」に戻りますと

  • 明治28年 福山米吉氏が試掘権を得る
  • 明治32年 京都合資会社が採掘特許を設定
  • 明治39年 夕張炭砿株式会社が設立
  • 明治42年 大夕張炭鉱株式会社と商号変更
  • 明治44年 三菱が石炭販売権を掌握
  • 大正5年 大夕張炭鉱株式会社より三菱合資会社名義

となっています。(一部をピックアップ)
しかし三菱になってからについてはここには書かれていませんので…

1220kani6.jpg 

次はこれを見ます!
こちらによると

『昭和初期に南部地区での炭層条件の悪化から、北部となる現在の鹿島地区に操業拠点を移動、大夕張という地名は以降ここを指すようになった』
(「炭鉱 盛衰の記憶」(北海道新聞社、pp.49)

そうです。
その続きには

『昭和四十八年に大夕張炭坑は閉山、当時既に開発を進めていた南部地区地区、南大夕張の新鉱に再び操業地区が戻る形となっている』

とありますので「三菱大夕張」としては大正5(1916)年~昭和48(1973)年までの約57年間操業していたようですね。

ちなみに先に出てきた「南大夕張」という炭鉱は三菱から分離してできた会社のようで

1220kani8.jpg 

この会社で発行したものと思われる冊子によると

昭和2年 三菱鉱業株式会社から大夕張砿業所 独立
昭和44年 三菱鉱業より分離独立して三菱大夕張炭鉱株式会社となる
昭和45年 営業移行、南大夕張砿業所として発足

となっていますので閉山前には同じ三菱系の炭鉱として操業していたようですね。

その後

1220kani7.jpg 

こちらの年表によると南大夕張炭鉱は昭和64(1989)に閉山しています。(ただ、本の冒頭の年表では平成2年が閉山と書いてあるのでどちらが正解なのでしょうね…?)






沿革を追うだけでもこの資料を行ったり来たり……!!!(゚д゚)
しかし全然今まで知りませんでしたが、最初は南から始まった炭鉱が北に移動し、また南に戻り、さらに閉山後は町がダムに沈む……とかなり激動の炭鉱ですね。

この写真集によると昭和30年に「石炭鉱業合理化臨時措置法」が施工され、炭鉱の合理化・閉山が始まったそうです。

ここからの資料は……これを読めばわかるでしょうか!?

1220kani5.jpg 

「『おい、三井芦別に労働組合が出来たぞ 俺たちも労働組合を作ろう』
有志 呼応して 鹿島革新同志会 10月12日 誕生
大夕張労働運動の 黎明を迎える
対立する組織もあり 相語らい 胎動激しく
11月10日 大夕張炭砿夫労働組合の創立を見る」
「未来にむかってたくましく歩もう」(三菱大夕張炭鉱労働組合解散記念誌、pp.7)

恐らく直前に昭和20年の記述があるので、労働組合が出来たのも昭和20年の終戦の頃なのでしょうか。

この先を追うと組合はたびたびストなどで会社と戦い、昭和35年の三池闘争に介入したことも触れられていました。その後は

『三十六年、南卸放棄、鉱泉沢と北卸の生産も石炭枯渇で三十九年、四十年と奥部に移行し大夕張の生命線となる』
『深部は自然発火多発、温度は二十七~八度、作業時間の短さを労働密度でカバーして、俺のとこの山だけは何としてでもとの意気込みは強く……』
『新石炭政策に対応して三菱鉱業は四十四年五月十四日、臨時経協で石炭部門の分離を提示』
『七月十二日スト解除、三菱大夕張炭砿株式会社 大夕張砿業所となる』

その後は坑内条件が悪化していく中で次のように会社から閉山の提案があったそうです。

『四十八年四月十九日、運命の日ともいうべき臨時経協の申し入れ、『大夕張を閉山し、仲間500人は南夕へ』と、恐れていた、一番恐れていた会社の提案』

組合は閉山を阻止するために戦いますが、条件闘争へと移行したそうです。そして

『全山投票は圧倒的多数をもって、昭和四十八年六月二十九日、全員解雇として山を閉じることとなった』

と閉山の様子をつづっています。





そうなると…やっと腕章の話に戻りますが、この腕章は恐らく合理化の始まった昭和30年~閉山の昭和48年の間の物でしょうか。しかも『書記』ですから組合の中でも役職の付く方の持ち物だったのでしょうね。

これと全く同じものではありませんが、組合の解散誌には似たような腕章が!!

1220kani9.jpg 

この腕章も、この写真のように合理化・閉山に向かう中で家族やヤマを守るために闘った誰かの腕にあった物なのでしょうね(´∀`*)

しかし……ちょっと知らない炭鉱の組合について調べようと思っただけで軽く3時間を越え…
積まれた資料もこの有様……

1220kani10.jpg 

それなのに

「結局、この腕章をしていた『書記』はどんな仕事をしていたの!?」
っていうことや
「閉山の理由は坑内状況の悪化&合理化で合ってるの!?」
という調べる中で湧いてきた私の疑問は解決されないままです(´・_・`)

しかも大夕張から「移行」した南大夕張については手付かず状態。
その上、操業中の様子…大夕張炭鉱ではどうやって石炭を掘ってその石炭には、会社にはどういう特徴があって……とかもまだまだ調べられてません。
さらに言うと大夕張鉄道という未だにファンも多い鉄道があったにも関わらずそちらも全く調べず仕舞い……。

消化不良です!(;д;)
詳しくない人間が調べものをするとこうなるのですね…。

元々歴史系に弱い人間なのですが、もうちょっと赤平以外についても覚えないとならないですね~!

1220kani1.jpg 

以上、ひとつの腕章から始まった三菱大夕張の旅(!?)に出たカニだったのでした。


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trackback --   Comment (4)   編集

この記事に対するコメント

Re: タイトルなし
大夕張の生き残りさま

コメントありがとうございます。
ぜひよろしくお願い致します。楽しみにしております。

【2018/01/10 11:45】
URL | NPO炭鉱の記憶推進事業団 OL #- [ 編集 ]


家の中を整理していたら、南大夕張に関する写真が何枚か出てきましたので、また、そのうちもっていこうと思っています。お楽しみに

【2018/01/08 18:40】
URL | 大夕張の生き残り #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし
あいきじゅんいち 様

コメントありがとうございます。
スタッフの「カニ」こと大倉加奈です。


> それと、もっとまじめに勉強して、きちんと文章にしなさい!!
> 炭鉱の記事を書けばよい、という軽いものではありません!!
> (怒)

スタッフブログは親しみやすく、センターの様子が分かるようにと思い私自身の視点で書くように心がけておりましたが、相木様にはご不快な思いをさせてしまったようで誠に残念に思います。
今後も相木様にとっては「軽い」と思われてしまう記事もあるかもしれませんが、私自身不勉強であることは自覚しておりセンターで務めるようになってからこの約半年間、業務の合間ではありますが少しずつ勉強をしております。
何卒ご容赦の上、あたたかく成長を見守っていただければ幸いです。



> 亡くなっている方や暗い過去を背負った人も沢山いるのです!!

悲しい過去、暗い過去が炭鉱にあったことも存じ上げております。この過去を無視するのではなくスタッフブログでは日常を綴る物という認識で触れていなかった次第です。このような場ですので暗い過去について触れることは少ないかと思いますが、その点も心して業務に努めてまいりたいと思います。


今回この腕章をご寄贈いただいた方も、大事に保管してほしいという気持ちで当センターに預けてくださいました。その気持ちや、実際にこの腕章を使っていた方の気持ちを大事にしていきたいと思っております。


この度は貴重なご意見、誠にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

【2017/12/21 11:12】
URL | NPO炭鉱の記憶推進事業団 #- [ 編集 ]


三菱大夕張炭鉱の「労働組合書記長」の腕章と思います。
もう、故人でしょうから大切に扱ってください!!

それと、もっとまじめに勉強して、きちんと文章にしなさい!!
炭鉱の記事を書けばよい、という軽いものではありません!!
(怒)
亡くなっている方や暗い過去を背負った人も沢山いるのです!!

【2017/12/20 19:46】
URL | あいきじゅんいち #- [ 編集 ]


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