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そらち★ヤマの記憶だより

あなたの知らない空知の情報をお届けします!

新幌内炭鉱の絵葉書を入手

2019/02/14 [Thu]23:30
category: 炭鉱の記憶
りじちょーの吉岡です。

たまにYahoo!オークションを覗いていると、思わぬ掘り出しモノに出会うことがあります。
今年に入って初のお宝グッズは、昭和鉱業新幌内鉱業所の絵葉書。
セットものをバラ売りしていた全4枚を買ってしまいました!
宛名面の切手貼付個所には、昭和鉱業の「◎昭」のマークが。
知る人にとっては、これだけでもお宝です。
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●なぜ4,000円も出して買うのか?
ちなみに、1枚1,000円。合計4枚で4,000円!
こんなハガキに4,000円も出すかと言うと…
炭鉱野球でスカウトされた父が勤務し、私が生まれた時から幼稚園に入る前まで住んでいた炭鉱だからです。

こちらは、以前に入手した「10万屯突破記念絵葉書」(1964年8月/北炭幌内鉱業所)。
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宛名面の解説文には、「硑山より唐松緑町及び常盤町を望む。右手前には二つ池、その後方は選炭機、中央の大きな建物は新幌内会館」とあります。
この「二つ池」のほとり、写真の左から2列目・手前から2棟目の奥側(職員浴場の向かい側)が、私の炭住でした。もっとも、父の職員登用は、この絵葉書の発刊した翌年なので、「住んでいた」ではなく「1年後に住むことになる」炭住です。
私が3歳の時に行方不明となり池に落ちたのではないかと大騒ぎを引き起こす現場が、この「二つ池」でした(炭鉱幼稚園に入り込んで園児と一緒に遊んでいた…らしい)。


新幌内炭鉱とは…
1925 (大正14)年に日支炭鉱汽船(株)により開発が着手され、三度のガス爆発にあいながら昭和鉱業(株)によって1934(昭和9)年に出炭開始。
わずか4年で年産45万tの大炭鉱に成長しましたが、資金や鉱区の制約から1941(昭和16) 年に北炭に吸収合併され、幌内鉱業所新幌内砿となりました。
非常にガスの多いヤマで、ズリ山の下はチョッと掘るとガスが出るので、「禁煙区域」という巨大な消火器を模した看板が建っていたほどです。世界で初めて坑内メタンガスを利用したのも、この新幌内でした。
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1967(昭和42)年に、この新幌内砿と隣接する幌内砿とが統合して幌内炭鉱となりましたが、それまで使われていた主要坑口(本卸・連卸)や斜坑巻原動機基礎は現在も残っています。
独立系の炭鉱として、昭和初期に計画的に開発された新幌内は、北炭とは違う−特に明治初期に開発された幌内砿とは違う、開放的な感じのヤマでした。

●そんな進取の気性に富んだ炭鉱の風景が…
この絵葉書から、随所に感じることができます。

この坑口は、今でも残っています。
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坑内メタンガスを使った発電、その後はカーボンブラックの製造まで行いました。
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今も残る国鉄唐松駅の向かい(南側)の崖には、このような河岸段丘を利用した選炭機がありました。1枚目の坑口は、選炭機の左手奥側にあります。
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そして、何よりも新幌内の壮大な計画性を象徴していたのが、独立系炭鉱会社とは思えない規模の映画館である「新幌内会館」。何とオール木造です。
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▲北炭70年史技術稿本に掲載の断面図

1966(昭和41)年に幌内立坑が完成し、翌年の幌新統合によって、父の職場が「新幌労務」から「幌内労務」に変わり、わが家もこの開放的な河岸段丘上の社宅から、狭い幌内の沢に移りました。
私は、小学校・中学校ともに幌内なので、「出身は?」と聞かれると「幌内」と答えるのですが、両親は、父の結核罹患→病棟看護婦だった母との結婚→私の誕生→父の職員登用と、ライフイベントが数多くあった「新幌内」への思いが強いようです。
なので私も、《育ち》は幌内だが《氏》は新幌内…という感覚でいます。
「氏より育ち」とは言いますが、やはり「出自」も大切にして行きたいと思っています。



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グッズ開発中…!?

2019/02/13 [Wed]17:05
category: 空知グルメとお土産
こんにちは!赤平から来ているスタッフのカニです
私は普段は「赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設」のカフェ&物販コーナーで勤務しております

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ここでは様々なグッズの販売を行っており…


たまぁ~に新作を販売したりしています(=゚ω゚)ノ

そんな物販コーナーですが…実は!赤平のみならず、NPOとしてグッズの企画を進行中なんです!!
どんなグッズかをちょっとだけお見せしますと…

190213kani.jpg 

ジャジャンッ(・Д・)ノ
…とお見せしたいところではありますが、まだまだ未完成なのでモザイクでの公開です~(笑)

この開発中のグッズは少なくとも、春の夕張市石炭博物館の開館までには完成したいな~と思っておりますので、楽しみにお待ちくださいね.゚+.(・∀・)゚+.
早めに完成したら、センターと赤平で販売開始したいと思います!

どうぞお楽しみに~!!

赤平のカニでした

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【道立図書館】DVD「夕張市~石炭の街ゆうばり~」

2019/02/11 [Mon]18:26
category: 炭鉱の記憶
北海道立図書館 北方資料室が主催する講座のご案内です~

連続講座・映像によみがえる北海道(第2回)
「なつかしの映像資料を見る・学ぶ・遺す
~旧産炭地の映像を中心に~」


講師は青木 隆夫 氏(夕張地域史研究資料調査室室長)で、
DVD「夕張市~石炭の街ゆうばり~」を上映し、
映像資料が持つ史料としての価値と重要性について考える…
と言う講座だそうです。

道立図書館

2月17日(日)
14:00~16:00

(受付13:30~)

会場は、
北海道立教育研究所 2階 大講義室
(江別市文京台東町42番地)

定員は50名・入場料無料
受付は2月16日(土)まで ※定員になり次第締め切り

【お申込み・お問合せ】
北海道立図書館 北方資料室
電話番号:011-386-8523
ファックス:011-386-6906
メール:hoppokouza@library.pref.hokkaido.jp

チラシ兼参加申込書は、
当マネジメントセンターにも置いてます
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④炭鉄港の【鉄道】旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場(岩見沢レールセンター)

2019/02/10 [Sun]17:11
category: 炭鉄港−北の近代三都物語
今回紹介するのは、
旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場(岩見沢レールセンター) 

北海道で初めての鉄道は、三笠の幌内炭鉱で採掘された石炭を運ぶ目的で敷設された官営幌内鉄道です。
石炭を運ぶために様々な手段を検討し、アメリカ人の土木技師クロフォードの案により、鉄道を小樽の手宮まで敷設する事となったのです!

明治13年に手宮-札幌間が開通、明治15年に幌内までの全線が開通しました。
旅客の取り扱いのない石炭列車は1日1往復、
普通列車は手宮―札幌間2往復、札幌―幌内間は1往復だったそうですよ

明治22年、海道礦鉄道が払下げを受け…
かつては手宮にしかなかった鉄道工場でしたが、
明治31年に岩見沢製作所を設置し、明治32年、製作所を岩見沢工場と改称し、車両やレールの製造、修理を行うことなりました!
※北海道鉄道百年史より

これが、現在のJRレールセンターの始まりです!!

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※上棟式の様子

北海道炭礦鉄道(北炭)は沿線の炭鉱からの石炭を運ぶために、
明治24年に岩見沢―歌志内間、
明治25年には、砂川―空知太間、岩見沢―室蘭間の鉄道も開通させました。

北炭の本社は、明治37年4月から明治39年の鉄道国有化になるまで、短期間ですが岩見沢(岩見沢村南六番地)にあったのです!!
岩見沢は鉄道の拠点と位置づけられていたのがわかりますね

JRレールセンター

現在はこの建物だけしか残っていませんが、同じような赤レンガ造りの、
機関車や貨車の鋳造部品をつくる「鋳造工場」、
貨車の側板や枕木などをつくる「木工場」、
貨車の荷物を覆うシートを整備する「シート場」などが周辺にあったそうです。


旧北海道炭礦鉄道岩見沢工場(岩見沢レールセンター)は、空知を代表する貴重な鉄道遺産です

マネジメントセンターは開館してます♪

2019/02/09 [Sat]20:34
category: マネジメントセンターについて
昨日、今日と、ホントに寒い日が続きますね
ちょっと晴れたと思ったら、また雪…。

これは積もる雪。
これは大丈夫な雪。
そんな会話の日々です

DSC_4178 (800x596)
マネジメントセンター裏口の屋根の雪がこんなに…
これはどうにかしないと、ちょっとまずい💦


そういえば今日は3連休の初日!!
マネジメントセンターにもふらっと立ち寄ってくださる方が多かったです。
いつもありがとうございます

10日(日)、11日(月祝)、マネジメントセンターは通常通り10:30~17:30まで開館していますので、よろしければどうぞお越しくださいませ~!!